
長岳寺で紅葉を愛で、重要文化財の庫裏(くり)でそうめん(にゅうめん)を味わってからJR奈良駅に戻りました。
そこからてくてくと歩いて墨の老舗製造会社の古梅園を斜に見ながら向かったのは「ならまち」と呼ばれる界隈です。
本当は杉岡華邨書道美術館にも寄りたかったのですが、午後4時を既に過ぎていたので今回は諦めて先を急ぎます。

と言いつつも、途中に小さなお寺があったので、ふらふらと立ち寄ってしまいました。
特融寺というこのお寺の参道らしき所だけ入ってみましたが、静かなならまちの中でもいっそう静かな佇まいで観光客の姿もなく、わずかな黄葉がありました。
ひっそりと花も咲く特融寺は、このようなお寺です。

当寺はもと南都七大寺の一、元興寺の境内にあり、観音堂とも別時念仏の道場であったとも伝えている。室町時代、元興寺が土一揆で罹災したため本尊を現在地へ移し、天正十八年(一五九〇)融通念仏の檀家寺院として復活した。
本堂は寛文七年(一六六七。県文)休岸上人の再建。木造阿弥陀如来立像を祀る。頼朝公の妻北条政子念仏であったという。
境内には毘沙門堂(寛永九年。市文)観音堂、地蔵堂、方丈、庫裏(慶長十六年。もと本堂)鐘楼等、時代別の堂宇が軒をつらね、観音堂本尊は平安初期作子安観音立像である。大和北部八十八ヶ所四番札所で「願ひをばかけてぞむすぶ結肌帯たはやすくしも解かせ給ひぬ」の詠歌がある。幕末の頃、観音の子育て信仰にあやかって寺子屋が開かれ、明治五年の学制「魁化舎第三番小学」と改まり、のち西木辻八軒町に移って現在の奈良市立済美小学校に至っている。
当寺は平城京の外京、六坊大路にあたり、藤原不比等の孫、右大臣横佩豊成の宅跡とされる。折口信夫の小説「死者の書」で知られた豊成の娘中将姫は当地で育ち、少女時代継母にいじめられた。「虚空塚」「雪責松」など受難のあとが随所に残されている。
観音堂裏に父子の石塔(鎌倉時代)がある。戦国の世、梟勇松永弾正久秀が多聞城の石垣を築くため、近郊の石塔を徴発した。右の石塔にも徴発の手が及んだので、当寺の一代で連歌師の心前上人が「曳残す花や秋咲く石の竹」と詠み、危うく難を逃れたという。
什物に奈良時代の木心乾漆仏断像はじめ貞亨元(甲子)年当麻曼荼羅、狩野永梢・勝山琢眼筆花鳥山水襖絵五十面等があり、断像は仏像の内部構造を知る上で貴重な資料となっている。
なお、融通念仏宗とは平安時代の僧、良忍上人の創唱で、自他の念仏が融通して、一遍の念仏にも億百万遍の功徳が籠ると説く教え。俗に「大念仏」といい、河内大和を中心として畿内に広がっている。


特融寺を出て、さらに南に歩き続けます。
辺りは暗くなり始め、気温もだいぶ寒くなってきました。
しばらく歩くと、右上に目的地の目印を発見。

目印の右側に「朱」、左側に「木下照僊堂」の文字。
ここは、おそらく日本で唯一の印泥(朱肉)を製造する木下照僊堂です。
印泥のほか篆刻用の朱墨も造っているこちらには、「朱」つながりで伺いたいと思い立ったのです。

ショーウィンドウに飾られた鮮烈な朱に魅せられて写真を撮っていると、すぐ横に近寄ってきた少年から「何してるの?」と声を掛けられました。
「綺麗だから写真に撮っているんだよ」と答えると、「キレイでしょ」となにやら誇らしげに言葉が返ってきました。
聞くと、この木下照僊堂の身内の少年だそうで、扉を開けて中に入っていきました。
こちらも遅れて中に入ってみると、たくさんの種類の印泥や朱墨がありました。

当主の木下勝章氏はとても気さくな方で、いろいろな質問にも気軽に答えてくれました。
食べ物など最近の中国製品への不信感からか、木下照僊堂の印泥は今まで以上に評価されてきているそうですが、なにしろ使う量がどうしても少ないので苦労も多いそうです。
こちらでは朱のほかに糊も製造しているのですが、これについて質問すると元々が膠屋(膠は日本画の絵具を定着させる接着剤で、墨造りにも使用される)であったのと、朱だけでは大変だから、とのことでした。

朱とは全く関係ないところですが、こちらの当主はパソコンが一般的になる以前からパソコンをいじっていたそうで、DOSがどうのと、意外なところで話しが弾みました。
また、サイエンス チャンネルというスカパーの番組でも取り上げられ、それがインターネットで見られることも教えてもらいました。
これはサイエンス チャンネルのホームページで、番組検索を朱色・朱墨として検索すると無料で見られますので、興味がおありの方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

だいぶ遅い時間にお邪魔しましたのでご迷惑をお掛けしましたが、朱墨はだいたい2月頃に製造するそうなので、その頃に改めて見学をさせてもらえることになりました。
当主が伝統的な朱墨について「残したい」と語るさまに、なにか力強さのようなものを感じました。
本当に、末永く残ってほしいと思わずにはいられません。

朱は古来よりめでたい色として使用されてきました。
朱色で描かれた竹の絵は「朱竹図」と呼ばれ、吉祥画(おめでたい内容の絵)の伝統的な題材となっています。
初詣に行かれた際には、朱塗りの鳥居にも目を留めてみてはいかがでしょうか。
2008年のブログ「丹青人語」は今回で終了です。
閲覧していただき、誠にありがとうございました。
また来年も、宜しくお願いいたします。
それでは皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
(執筆:む)